黒豆海苔巻

主に北海道で散歩してるブログ

札幌国際芸術祭で未来の札幌に思いを馳せたりしていた

 6年半ぶり、初めて冬に開催された札幌国際芸術祭を色々と巡った。市民・道民はお得にパスポートを買えて嬉しい。

 テーマは「LAST SNOW」。最後の雪、この前の雪、続く雪など、色々な読み解き方ができる。札幌市内に点在する会場は、「200年の旅」と「未来の冬の実験区」の2つのストーリーでそれぞれ括られる。

 旧北海道四季劇場は未来劇場と名前を変え、「2124 はじまりの雪」として100年後へと意識を誘う。真っ赤な客席に咲く花「Red」の花弁は、パンデミック下の防護服と同じ素材で作られ、舞台上に立つ僕らに向かっておいでおいでをするように、ゆっくりと開いては閉じてを繰り返す。

 チェ・ウラムの作品にはどうやら息遣いを感じさせるところがあって、寝息を立てるように腹を上下する「穴の守護者」は自然と未来の生き物のように感じられてくる。

 

 100年後の札幌は、気候変動、特に気温上昇の影響を受けているだろうことは想像に難くない。札幌で最後の雪を目にするのもありえない未来ではないだろう。そうした気候変動が現在進行形の課題であることを改めて突きつける展示が揃っているのも未来劇場の特徴だ。海面上昇の危機に瀕するマーシャル諸島と、氷河融解が続くグリーンランドとを繋いで連帯を促す「Rise: From One Island to Another」は見入ってしまう映像作品だった。

 イタリアのアルプスの氷河融解を遅らせるためのカバーを使った「Invisible Mountain」は、すでに消えてしまったかもしれない山の形を空間に浮かび上がらせる。いつかはこうして、雪があった頃を夢想するのだろう。

 複雑な環境課題を解決してくれそうな人工知能であるが、環境管理AIのはじき出す答えが必ずしも受け入れられるものにならないことを示すのが「Asunder」。ドイツには熱帯林を植林しろ、ドバイにはもう人は住むなというのはあまりに不条理で笑ってしまうほどだ。でも本当にそれが最適解なら、笑い飛ばせるだろうか。

 さらに先の2300年をシミュレートした札幌の姿は、オーロラタウンで上映された「Climatic Reflector "Water City"」で見ることができた。雪はないし海面は5m上昇しているしで、石狩川河口周りの海岸線は全く姿を変えている。そんな中でも、海水浴場を作ったり、最後の雪保存施設を作ったり、たくましくも活用する姿も思い描かれた。

 モエレ沼公演会場では、氷塊をレンズに加工する「Pinnannousu」を見ることができた。レンズに加工するのが早いか、氷が溶けるのが早いかというこの作品は、気候変動に対処する人間の試みを表すものとなっている。

 期間中にあった「知られざる札幌の地下をめぐるツアー」にも参加し、札幌口北口にある融雪層を見学した。札幌中心地からの排雪をスムーズに処理するため、温水をたたえた地下施設が存在しているのである。モエレ沼で展示会場になっていた雪貯蔵庫もそうだが、こうした施設も雪がなくなれば用無しである。暮らす分には必ずしも嬉しくはない雪ではあるものの、いざ雪が消えるとなると寂しさが漂うものである。

 

 そう思うと、市民はあまり足を運ばない雪まつりも、ちょっとありがたいイベントに見えてくる。今年は「エアシップ・オーケストラ」が可愛さを振り撒いていた。

 

 100年後を夢想するなら、まずは先の100年から学びを得るべきだろう。北海道立近代美術館では、この100年の移り変わりを「FRAGILE(壊れやすい、脆い)」というキーワードで辿ろうとする。会場入ってすぐには、かつて盛んだった北洋漁業の様子が壁一面を覆っており、うつろいゆく時代を意識させられる。

 MRI画像を刺繍で表現する宮田彩加、友禅の技法で現代の煌びやかな東京を表現する石井亨は、100年の中で維持される・変化する技法・技術・モチーフを提示する。時の流れで変わるものも変わらないものもあり、それは人の活動で方向付けられるのだなと思うと、100年後も決して固定の形をしているのではないと分かるだろう。

 

 芸術祭と同時期にCAI03で開かれていた増山士郎個展「世界の果てで、動物と対話する」も面白かった。毛を刈られた羊が寒そうだから刈った毛で羊用セーターを編む。同じくアルパカのためにアルパカの毛でマフラーを編む。事務所に入ってくるハエがひもじくてかわいそうだからカボチャでハエ用の家を作る。動物に寄り添うようでものすごいエゴでもある行動に、環境とか生き物とかとの関わりの形を再考させられる。「羊にセーターを作りたいので、毛を刈って買い取りたいのですが…」と申し出た時の、何言ってんだこいつという羊飼いの顔は今思い出してもおかしい。

 ATTRACTIVE(魅力的な)という文字を模した餌台には寄り付かなかったニワトリが、NOT ATTRACTIVEにしたら寄り付いたというのも、結局コミュニケーションをとれているんだかいないんだかという感じで楽しい。

 

 ユーモアの点では、芸術の森美術館での「明和電機 ナンセンスマシーン展」もニヤリとさせられる展示で埋まった空間だった。

 暴走族的音楽を吹き鳴らしながら、鯉に取り付けられた無数の包丁で紙をズタズタにする「ドスコイ」のようにふざけた感じの作品ばかりである。しかし、しっかりと家電らしい説明書をつけたりする電機企業という世界観の徹底や、呪術性の存在や不安定さに人間らしさを見出すようなコンセプトを見ると、しっかりとした芸術なんだなという感想を抱く。あと、とにかく膨大なスケッチは必見だと思った。

 まあ単純に面白いんですけどね。これは男性に力強さを取り戻させるスーツ。エンジンの唸りを上げながら何もかも噛み砕こうという動きのがむしゃらさが印象的。

 笑い声を再現する「ワッハゴーゴー」にも、人間の声とは何かという洞察が背景にあるのを知ると、ただのおもしろ機械という見え方は変化する。

 作品そのものは販売せず、商品化したマスプロダクツの売上だけで活動するというのも、なんだかカッコ良いなと思わされた。

 

 ちょっとごった煮みたいなところもあったけど、とにかく一つのお祭りとして大いに楽しめたし、「雪のなくなる札幌」に思いを馳せられた経験が自分にとっては価値あるものだった。ぜひまた3年後、さらに面白い経験ができることを楽しみにしている。