2021年7月27日に、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産登録されました。ミーハーな性分なので、函館から恵山をぐるりと回ってさっそく見学してきました。
世界遺産の前に少し寄り道。日浦の柱状節理です。この奥には灯台があるようですが、そこまでは立ち入り禁止。
柱状節理はマグマが冷えて固まる際に柱のように割れてできたもの。どーんと海まで伸びていて、見ごたえたっぷりです。所々に崩落の跡があり、安易に近づくのは危険そうですが…。
かっこいい…!こんなにはっきりと柱状節理を見たのは初めてでした。
さて、そこからさらに北上し、南茅部の縄文文化交流センターへ。まずはここでしっかり勉強しましょう。
どぐう館長の案内に従い進みましょう。縄文時代とは紀元前13,000年〜400年くらいまでを指していてかなり長い。世界的には新石器時代〜青銅器時代にかけての頃で、ストーンヘンジやピラミッドもこの間にできています。
縄文文化は均一ではなく、日本列島の中でいくつかの文化圏に分かれていたそう。津軽海峡を挟んだ道南〜北東北も一つの文化圏とされ、今回の世界遺産はこのまとまりに対してのものでした。津軽海峡を行き来して交流していたというのが驚きです。
ここでの展示を見ると、考古学者の方々の仕事に頭が下がるばかりです。
この貝塚からあれだけの魚類を特定して分類するんですよ?ニシン・マイワシ・カタクチイワシあたりの執念よ…。
この展示も面白かった。埋葬された跡から、遺体に着せられていた服に漆が使われていたと特定したもの。これをきっかけに漆文化発祥の地が日本であったのではないかと推察するもので、よくこんな手がかりから、と推理小説を読むような気分です。
展示の仕方も面白く感心させられます。縄文人が使っていた「穴」を、大きな絵画のように断面で見せてくれます。周りの土との違いが確かにわかる。
先ほどの漆もそうですが、縄文時代の技術・文化は思っていた以上に豊かで洗練されていたのだなと認識を改めさせられることになります。のり代わりにアスファルトが使われていたことに驚きます。
宗教的な習慣もあったようで、恐らく亡くなった子供の足形をとった土板も多く発見されているとのこと。
そして目玉である国宝「中空土偶」。高さは40cm強あり、想像よりずっと大きく、また継ぎ目の一つもわからないほどなめらかな見た目です。CTスキャンの結果、この土偶は意図的に壊すことを前提に作られたと分かったそう。よくぞこんなきれいなままで残って発見されたなと感動します。
交流センターの裏手からは垣ノ島遺跡に降り、盛り土遺構の上を歩くことができます。
さらに少し足を伸ばすと、大船遺跡があります。ここは拠点的な集落で、なんと100棟を超える竪穴式住居があったとのことです。
竪穴ってそういうことだったな、と覗き見ると、思ったより深い。1m以上はありそうです。この遺跡の竪穴は他地域と比べても確かに深いそうで、その理由はまだ明らかではないとのことです。
生活の跡は、無造作に積まれた石皿の数の多さからも推し量ることができます。
ミーハーな気分で訪れましたが、学ぶことも多く、大満足の見学でした。