黒豆海苔巻

主に北海道で散歩してるブログ

マラソン引退によせて

 「フルマラソン完走」は人生経験として一度はチャレンジしたいと思う人も多いはずです。僕もそうした一人であり、偶然にも北海道マラソン出場の権利がぶら下がっていたので迷わず飛びつきました。

 そうと決まればとにかく無から体力を練り上げなければならなりません。昨年のクリスマスイブにジムに入会したのをきっかけに、雪解けまではトレッドミルで走っておくこととしました。新型コロナウイルスの影響か1回あたり30分までと制限されたトレッドミルで小走りからはじめ、時速11キロ相当を維持する程度までは走れるようになっりました。

 そして春。意気揚々と路上で走り始めるも、2キロも走らないうちに心が折れるトレッドミルに比べてものすごく疲れるのです。やはり使う筋肉が全く異なるようで、これまではベルトコンベアの動きで勝手に足が動いていただけなのだと痛感しました。あとアスファルトは硬くて痛い。それでも週に1日程度のごく低頻度ながら走り続け、徐々に走れる距離を伸ばしていくことができたのでした。

 

 8月末の北海道マラソンに向けて、6月中には20キロ、7月中には30キロをそれぞれ一度に走り切れるようにしようと早期に目標設定をしていました。その6月、今年開業したエスコンフィールドでハーフマラソン大会があるというので、これを逃す手はないと参加することとしました。新しい球場も見てみたかったし。

 大会前週には15キロ継続して走ることができていたので、ハーフマラソンの距離にはそれほど不安はありませんでした。たまたま同じ大会に出場した大学の先輩としっかり球場を一回り楽しんで、完走後のビールに思いを馳せながらスタートを切ります。

 雨天の予報もあったものの、大きく崩れることなく、爽やかなランニングとなりました。大勢のランナーの中で走ること、給水所で水を取ることなど、初めてのマラソン大会でしっかり雰囲気を味わうことができました。大曲まで続く新しい道路やエルフィンロードを幾度か折り返すアップダウンのあるコースはいつもの練習よりきつく、最後の2キロほどは歩くことも多かったものの、2時間を少しだけ切るタイムでゴールすることができ満足。震えながら飲んだ「そらとしばPlay Ball! Ale」は美味しかったし、大爆笑する膝を宥めながら歩いた北広島駅までの道のりも、寝ていて乗り過ごした地下鉄も、心地よい疲れの中の良い思い出です。

 

 ところが、そこからはマラソンに対するモチベーションが一気に下がってしまいます。ハーフマラソン翌週からの海外旅行でランニングの間隔が空いたこと、走ることそのものはそんなに楽しくなかったこと、アトロクでいうところの「烈」な気候、トレーニングすると山登りなどの時間が取れないことなど、いろいろ思い当たるのですが、一番はハーフマラソンで満足しきってしまったのが原因でしょう。

 職場でマラソンを趣味とする人に、「走ることそんな楽しくないんですけど…」と相談するも、「走るのは辛い。しかし完走の達成感からまた走りたいと思うのだ」とあまり現状の参考にはなりません。走るうちに股関節に痛みも出るようになり、なおさら走る頻度・強度は下がったまま、北海道マラソン当日。8月中の総走行距離も40キロに満たないままでした。

 当日は終日雨の予報でしたが、スタート時は見事に晴れ。この時点で気温はすでに31度となっていました。とにかく完走だけでもすることが目標であると気を引き締めます。

 僕は第二ウェーブのしんがりのグループからの出走。しかし各関門の通過時刻制限は全員共通なので、最初の方はそれなりのペースで巻き返すくらいでなくてはならないのです。

 ぞろぞろと歩いて、スタートラインをいまいち認識しきれないまま、周りの人に合わせて走り出します。非常に暑いが滑り出しは順調で、すすきのの中心を駆け抜ける特別感も手伝い、苦もなくスイスイ進みます。幸いなことに、懸念していた股関節の痛みが顔を出すこともありませんでした。

 しかしとにかく暑く、あっという間に汗だくになります。湿度も高く、平岸の給水所までもが遠くに感じられました。息も詰まるほどムッとした創生トンネルをそそくさと切り抜け、北へ北へと向かううちはまだ元気。応援にきてくれた方に話しかけに行くくらいの気力もあります。

 20km地点までは7分/kmほどの一定ペース。ここから先は未知の距離だなあ、と思っていたら全然足が動かなくなってきました。先が見えないほど真っ直ぐな新川通りを、歩いては少し走りと、ヨタヨタと進みます。およそ半分のこの地点には参加者回収用のバスが集まっており、これに乗れば楽になるぞ…と強烈な誘惑をかけてきます。さらには暗雲立ち込め、雷鳴まで轟きはじめ、メンタルがへし曲がりそうです。

 前田森林公園で次の関門のタイムリミットが近いことを知らされ、慌てて先に進みます。なんとか関門を越え折り返したくらいで、いよいよ雨が本格化してきます。ここから先はとんでもないペースの落ち方で、走るよりも歩く時間の方が圧倒的に長くなります。とんでもない豪雨なのに演奏や給水を続けてくださるボランティアの方々の力強い応援に震えながら、ずるずると進んだ残りの20km。3時間以上かけたのに体感時間はなぜだかすごく短かく、記憶が曖昧です。

 北大前でいただいたコーラを最後のエネルギーにして、いろいろギリギリでなんとかフィニッシュ。ネットタイムで5時間43分という遅さですが、完走は完走。なんとかやり遂げて、ありがたくメダルをいただきました。

 完走証でペースのガタ落ち具合がわかります。

 完走したからといって、苦しさから解放されたわけではありません。僕の預け荷物置き場は西11丁目あたりにあり、まずはそこまで歩かなくてはならないのです。これも何kmあるんだというくらい苦しい道のりでした。

 

 その日の夕方、知り合いのランナーとジンギスカンをビールで流し込みながら、僕は軽やかにマラソン引退宣言をしました。とにかく「マラソンを走ったことがある」というステータスは手に入れたのですから、目的は達されたのです。それに、前述のような「完走の達成感」はそれほど強く湧き上がりません。両足の爪は内出血で真っ黒だし、思えば走ることを優先してそれほど山登りや鳥見もできなかったし、生活に少なからぬ犠牲があったのです。

 これ以上走る必要などありません。これをもって、僕のマラソン人生は終わったのです。どうもありがとうございました。

 

 ところが、マラソンから日にちが経つにつれ、やっぱりあのタイムではちょっと不甲斐ないよな、もう少しできたのかもな、と不完全燃焼感がじわりと頭に浮かんでくるではないですか。こんな感覚はきっと少しづつ薄れていくんでしょうけど。きっとね。