黒豆海苔巻

主に北海道で散歩してるブログ

『オッペンハイマー』から広島

 広島を訪れたきっかけは『オッペンハイマー』だった。クリストファー・ノーランの新作映画がようやく日本でも公開されるということで、今年に入ってから、原作も含めていくらかの本を読んだ。ノーランファンとしてのオタク的精神と、科学と倫理についての象徴的出来事に対する興味からである。

 原作となった伝記は、時代と社会に翻弄された男の生涯を描き、オッペンハイマーの名誉を正当に評価し直そうという内容であったと思う。国民や身近な人の困窮を見て共産主義接触し、ナチスドイツの先行開発を恐れる国の下で原爆開発に携わり、核戦争の可能性を前に自身の政治力を保持しながら国際管理や反核の方針を示そうとする。いずれも自国を愛する心からのものであり、聴聞会での名誉剥奪がいかに不名誉であったかを描く。

 オッペンハイマーは「物理学者は罪を知った。そして、それはもはやなくすことのできない知識である。」と言った。藤永と朝永の本は、この物理学の罪についてを語る。核兵器、すなわち用途とその実行が悪であり、物理学自体は悪くないという考えは改めて否定される。自然を改変して初めて自然を知ることができる科学には、原罪が潜んでいるというわけだ。原爆の開発の流れを見ると、1938年の核分裂の発見、1939年の連鎖反応の可能性確立から、そのエネルギーを爆弾に使おうという発想はけっこう直線的に思われる。戦時下ということもあるだろうが、予算を投入しウランやプルトニウムの大規模な精製工場を用意し、ロスアラモスに開発拠点を設置して作り上げられた原爆は、科学と目的の分かち難さを思わされる。

 IMAXシアターで観た映画『オッペンハイマー』は、映画としてとてもよくできたものだと思う。あれだけたくさんの登場人物がおり、3つの時系列を行き来する複雑な構成であるにもかかわらず、すんなりと理解が進む。原爆開発、オッペンハイマー聴聞会、ストローズの公聴会が話題を補い合うように配置されていること、またストローズが明らかな悪役として描かれることが、わかりやすさをもたらしているように思われた。音にこだわったトリニティ実験シーンには圧倒されたし、聴聞会で毅然とした対応をするキティの姿には胸を打たれたりした(そんなの私だけかもだが)。原作通りオッペンハイマー個人に焦点を当てた作りであり、IMAXの高画質で顔のアップを撮ったというのも、そういうテーマに沿った話であるだろう。

 原爆の悲惨さ・恐怖についてこの映画が描くことは限定的である。広島・長崎の様子を直接描くことはなく、オッペンハイマーの幻視として被爆・被曝の様子が提示されるにとどまる。映画の後半では核戦争への恐怖にフォーカスがあたり、それはオッペンハイマーの「世界を変えてしまった」という言葉に応じたものとしての描写となっている。原作からして広島・長崎に焦点を当てるものではないし、アメリカでの原爆の認識(軍に対する敬意や、冷戦下でつけられた核戦争の脅威への意識など)を思えば、映画での描写が必ずしも不足しているとは言えないだろう。ウラン採掘での被曝や、アメリカ国内で行われた人体実験についてももちろん描写はない。だからと言って原爆を良いものとして扱っているものではないし、反核の姿勢は明確に示される。

 それでも、と傲慢な気持ちがやはり芽生える。映画では、オッペンハイマーらロスアラモスの面々が、おそらく広島・長崎への原爆投下後の様子が投影されているのを見つめるシーンがある。日本人の多くは、そこで何が投影されているのか、いくつかの写真が思い浮かんだのではないだろうか。でも他の国の方ならどうだろう。ここで実際の写真をいくつか観客に提示するくらいは、映画の進行を妨げることなくできたのではないか。柳の小説では、原爆投下後に苦悶するオッペンハイマーや、1945年8月6日の相生橋に何度も連れて来られるラビの姿が描かれるが、そうした描写をアメリカの映画がすることを、申し訳なさを表明をしてくれることを、微かに期待していたところはあったのかもしれない。

 

 そうした傲慢な気持ちと折り合いをつけるためにも、知り、学び続けるしかない。映画で描かれなかった部分があるのなら、自分で実際に足を運んで、知らなければならない、と考えたのが広島を旅の行き先とした理由である。

 朝日が差す早朝の平和記念公園は人もまばらで、犬の散歩やランニングをする人とたまにすれ違う程度で、ごく普通の都市公園といった感じだ。しかし皆、死没者慰霊碑の前では足を止め、静かに手を合わせる。膝をついて長く祈るおばあさんもいる。

 相生橋。T字の特徴的な形が、投下目標として選ばれた。1945年8月6日(月)午前8時15分、この上空約600mで砲身型の原爆は爆発した。接地して爆発するとクレーターを作ることにエネルギーを取られてしまうので、最大の破壊効果を出すために上空で爆破させたのだ。音よりも先に熱と光が到達し、あらゆる水分が蒸発するほどの極めて高温の爆風が吹き荒れる。一度下がった気圧を戻すために中心方向に空気は吸い込まれ、特徴的な雲が立ち昇る。その様を思うとぞっとした。

 平和記念資料館はリニューアルされており、高校生の修学旅行で来た時のように、恐怖心ばかりが先行してしまう内容ではなくなっていたように思う。被害にあわれた一人一人にフォーカスし、その亡くなった人生の積み重ねで20万人とも言われる甚大な殺傷者数となったことが、静かに、力強く伝えられた。

 今回、改めて印象に残ったことは、爆心地から6kmも離れた地点から撮影されたきのこ雲のスケール、建物疎開中に被害に遭った中学生の衣服の小ささ、そして生きながらえても原爆症で苦しむ様子である。特に「N家の崩壊」は、原爆症で本当に人生が無茶苦茶にされる様子が克明に示される。体を丸々入れるようなギブスを処方され帰ってくるなど、やるせない気持ちとなる。原爆症や被曝二世といった方については『夕凪の街 桜の国』でも描かれるが、爆発だけではなく、その後も影響を及ぼし続けることにも、原爆の恐ろしさやむなしさがある。

 今回、広島に実際に訪れてよく理解できたと思ったのは、そのスケール感である。当日中に50%の人が亡くなったという爆心地半径1.2kmとはどれくらいの範囲なのか。水を求めて人が飛び込み、遺体も含めて埋め尽くされるようだったという川の幅がどれだけ広いのか。資料館にバスで横付けした修学旅行と違い、実際に歩き回ることで、広島での原爆の被害規模が少しだけ具体的にイメージできるようになった。

 こうして『オッペンハイマー』をきっかけとした広島訪問は終了した。映画の良し悪しはあるかもしれないが、実際に広島まで足を運ばせ、世界を知ろうという動機をくれたのだから、少なくとも自分にとっては人生でも重要な映画の一つになるのだろう。